poco a poco

2017.9.26~青年海外協力隊としてザンビアで過ごす2年間の記録。

自給自足とシェア文化。食べもの作れるって強い。

明けましておめでとうございます、を言うにはもう遅すぎるけれど。

今年もよろしくお願いします。

 

任国外旅行でしばらく任地を空けていましたが(いいところがたくさんあったので、後々まとめたい!)、先週から活動再開しました。

 

久々に村を訪問した帰り道、小さな男の子が家から走ってきて「ん!」と何かを差し出してきた。その手にはメイズ。その後ろからお兄ちゃんがもう一本メイズを持ってきた。通り過ぎる時にいつも手を振ってくれてる子どもたちだけど、手を振りかえすくらいで話したこともない。でもこれはきっと持って行けってことだよね。ありがたくいただくと、恥ずかしそうに嬉しそうに、笑ってくれた。

 

こんなことがザンビアにいるとよくあります。

 

・農家さんが帰りにお土産(メイズや豆、ピーナッツ、フルーツだったり旬のもの)を持たせてくれる

・お昼をご馳走してくれる

・バスで隣り合った人が、トイレ休憩中にわざわざ買った食べ物やお菓子を分けてくれる。

・オフィスに物売りが来ると、食べたい人が買って、周りにいる人にも分ける。

 

オフィサー曰く、これがザンビアンカルチャーらしい。

 

 

なぜ見ず知らずの私にまで分けてくれるの?

 

初めのころは受け取った後にお金請求されるんじゃないかとびくびくしていたけれど、そんなことは一度もなくて。

 

たまたま私が隣にいて

たまたまその人が分けれるものを持っていて

その人が分けたいと思ったから(或いは一人で食べるのが申し訳ないから)

分けてくれただけ

 

お金や物で返してほしいなんて思いは少しもなかった。

 

日本人はお金持ちだと思われるから、ねだられるよ。

それももちろん事実だけれど、確実に分け与えてもらっている方が多い。

 

お金を持っている人の恩恵に預かろうというよりは、"自分が持っていれば分けるし、持っていなければ分けてもらう"のが当たり前。

 

村では、誰か一人がたくさん持っているというのは、あまり歓迎されない風潮があります(私やオフィサーのように外から来た人は別として)。

 

・ミルミル(シマを作るメイズの粉)がないから分けてほしい→タダであげる

・畑仕事手伝うから食べ物わけて→これもok

ザンビアではこれをピースワークというそう)

 

またその逆も然り。自分が困ったときはお隣さんに分けてもらう。

 

教会に献金するシステムについて、キリマンジャロのガイドが言ってた。

 

「お金がある人が協会にお金を寄付する。そのお金で食べ物がない人たちに食べ物を買う。いつ自分が食べられなくなるかなんて分からないから、自分が助けれる時は助ける。そうしたら、自分が今度困ったときに助けてもらえるからね。」

 

シェア=自分(或いは家族やコミュニティメンバー)が飢えないようにする仕組み

 

なのかも…。

 

 

 自給自足とシェア文化

 

配属先の農業事務所には農家研修用のための農場があって、家族で働いているワーカーさんが圃場準備や種まき、灌水、除草等々の管理をしてくれています。

 

以前「食べる物がないから何か分けてほしい」と言われたことがあります。一緒に活動している農家からはそう言われたことは一度もない。

 

聞くと毎日この農場で働いているけれど、給料もちゃんと払われておらず、ただ働き状態だったようです。

 

同じ農業に携わるにしても、

  • 働いて、お金をもらい、そのお金で食べ物を買う人たち。
  • 自分の畑を持ち、自分と家族の食べ物を栽培しつつ、余ったものは売ってお金をもらう人たち。

ここには2種類の関わり方があるよう。

 

野菜を栽培しても、お金にならなきゃ生活用品は買えない。環境にも左右されるし、日本のようにそれをコントロールできないことを考えると安定的とは言えないけれど。

 

そもそも自分たちが食べるものがなかったら?

 

農場で働いている家族だって、自分たちで野菜育てられるのだろうけど、他の仕事で時間がなかったり、種を買うお金がないなど、理由があるのかもしれません。

 

数日後、農場に行くと朝ごはんにサツマイモを蒸して食べていました。当たり前のように私にも分けてくれたので、ありがたくいただいた。

 

 

1日1ドル未満の所得の人たちは貧困層と呼ばれ、ザンビア含むサブサハラアフリカは世界の中でもこの割合が多いそうです。

 

ザンビアに来て気づいたのは、貧困層と言っても一括りにできないということ。

 

一ドル未満で、職もなく、その日食べるものもない。

一ドル未満で、職もあり、その日食べるものもある。

貧困層の定義にはあてはまらず、職があり給料ももらっているが、食べるものに困っている。

等々色んなケースがあるんだろうなあ...

 

私が関わっている農家は、

 

自分たちの食べ物は自分たちで作る。

余ればそれを売って、現金を得る。

そのお金で生活用品(油、塩、石鹸等)を買う。

さらにお金があれば、自転車や小型ソーラーパネルを買い、テレビを買い、、。

 

というスタイルの人が多い。 

なんというか、自給自足しつつ社会とのつながりも保ちながら生活している感じ。

 

"日本で路上生活をしている人がいるか"という話題になった時、ある農家が言ってた。

 

「 ルサカにもそういう人がたくさんいるよ、都市で仕事がなく橋の下で寝起きしている人たち。でも今の時代、橋の下でだって生活できないよ、なんだって金がいるんだ。それに比べて、ここでの生活はいい。食べ物は自分たちの畑から手に入る。キャッサバ、メイズ、野菜、チキン、魚。食べ物に困ることはないし、余れば売ってお金だって作れる。」

 

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左はメイズ、右はキャッサバ。その周りには野菜とバナナ。

 

自給自足農業のままじゃ、いつまでたっても発展できない。だから大規模化して、売れる作物にフォーカスしよう。それも一つだけれど。

 

彼らにとって何よりも大切なのは、"まず自分たちの食料を確保すること"であって、売るのはその後なんだよね。彼らが稲をやりたい理由も、"メイズ以外の主食の確保"が一番大きい。

 

シェアができるのは、彼らにその余裕があるから。自給自足を維持するためにチテメネシステムや多品目栽培があって、もしもの時に飢えないためにシェアがある。自分たちで食べるものを作れて、もしもの時は隣人を頼れる。ある意味心強い環境なのかもしれない。

 

ある人が言ってた。

「フィリピンのある農家は自分には仕事がないって言うの。農家なんだけど。」

 

自分で食べ物を作る能力があって。

家族や地域、或いはどこか遠い国の誰かの胃を満たしているかもしれないのに。

 

なんでそう思ったんだろう?農業じゃ稼げないから?都市に出ていく人が増えたから?農業は古いから?

 

ザンビアの農業もきっと生産性が低いとかマーケットがないとか、インフラが整っていないとか、改善できることは色々あるんだろうけど。農家が自分自身を養えて、農家であることに誇りを持ち続けていられる限り、大丈夫なんじゃないかと思ってしまうのはきっと甘いんだよね。まだまだこの村の現状に向き合えてないからなんだろうなあ。

 

「農業は立派なビジネスだよ。売ることを考えて長期的にみて計画を立ててやれば、ちゃんとビジネスになるんだ。若いときにこのことに気づいていれば、できることはもっとあったはず。でも若い人は皆この声に耳を傾けないんだ、今しか見てない。」

 

大規模化した工業のような農業じゃなくて、個人でもこうやって農業で食べていこうとする人たちを守りたいし、そういう人たちののために働きたい。

 

この先どうやって農家とその地域と関わっていきたいんだろうと、もやっと考えるけれど、1人で考えてるだけじゃどうにもならないよね~

 

最後の期間、農家の声をもっと聴きたい、動きたい。

農家や農家に関わる人たちとつながる年にする。

 

 

終わり