poco a poco

2017.9.26~青年海外協力隊としてザンビアで過ごす2年間の記録。

自給自足とシェア文化。食べもの作れるって強い。

明けましておめでとうございます、を言うにはもう遅すぎるけれど。

今年もよろしくお願いします。

 

任国外旅行でしばらく任地を空けていましたが(いいところがたくさんあったので、後々まとめたい!)、先週から活動再開しました。

 

久々に村を訪問した帰り道、小さな男の子が家から走ってきて「ん!」と何かを差し出してきた。その手にはメイズ。その後ろからお兄ちゃんがもう一本メイズを持ってきた。通り過ぎる時にいつも手を振ってくれてる子どもたちだけど、手を振りかえすくらいで話したこともない。でもこれはきっと持って行けってことだよね。ありがたくいただくと、恥ずかしそうに嬉しそうに、笑ってくれた。

 

こんなことがザンビアにいるとよくあります。

 

・農家さんが帰りにお土産(メイズや豆、ピーナッツ、フルーツだったり旬のもの)を持たせてくれる

・お昼をご馳走してくれる

・バスで隣り合った人が、トイレ休憩中にわざわざ買った食べ物やお菓子を分けてくれる。

・オフィスに物売りが来ると、食べたい人が買って、周りにいる人にも分ける。

 

オフィサー曰く、これがザンビアンカルチャーらしい。

 

 

なぜ見ず知らずの私にまで分けてくれるの?

 

初めのころは受け取った後にお金請求されるんじゃないかとびくびくしていたけれど、そんなことは一度もなくて。

 

たまたま私が隣にいて

たまたまその人が分けれるものを持っていて

その人が分けたいと思ったから(或いは一人で食べるのが申し訳ないから)

分けてくれただけ

 

お金や物で返してほしいなんて思いは少しもなかった。

 

日本人はお金持ちだと思われるから、ねだられるよ。

それももちろん事実だけれど、確実に分け与えてもらっている方が多い。

 

お金を持っている人の恩恵に預かろうというよりは、"自分が持っていれば分けるし、持っていなければ分けてもらう"のが当たり前。

 

村では、誰か一人がたくさん持っているというのは、あまり歓迎されない風潮があります(私やオフィサーのように外から来た人は別として)。

 

・ミルミル(シマを作るメイズの粉)がないから分けてほしい→タダであげる

・畑仕事手伝うから食べ物わけて→これもok

ザンビアではこれをピースワークというそう)

 

またその逆も然り。自分が困ったときはお隣さんに分けてもらう。

 

教会に献金するシステムについて、キリマンジャロのガイドが言ってた。

 

「お金がある人が協会にお金を寄付する。そのお金で食べ物がない人たちに食べ物を買う。いつ自分が食べられなくなるかなんて分からないから、自分が助けれる時は助ける。そうしたら、自分が今度困ったときに助けてもらえるからね。」

 

シェア=自分(或いは家族やコミュニティメンバー)が飢えないようにする仕組み

 

なのかも…。

 

 

 自給自足とシェア文化

 

配属先の農業事務所には農家研修用のための農場があって、家族で働いているワーカーさんが圃場準備や種まき、灌水、除草等々の管理をしてくれています。

 

以前「食べる物がないから何か分けてほしい」と言われたことがあります。一緒に活動している農家からはそう言われたことは一度もない。

 

聞くと毎日この農場で働いているけれど、給料もちゃんと払われておらず、ただ働き状態だったようです。

 

同じ農業に携わるにしても、

  • 働いて、お金をもらい、そのお金で食べ物を買う人たち。
  • 自分の畑を持ち、自分と家族の食べ物を栽培しつつ、余ったものは売ってお金をもらう人たち。

ここには2種類の関わり方があるよう。

 

野菜を栽培しても、お金にならなきゃ生活用品は買えない。環境にも左右されるし、日本のようにそれをコントロールできないことを考えると安定的とは言えないけれど。

 

そもそも自分たちが食べるものがなかったら?

 

農場で働いている家族だって、自分たちで野菜育てられるのだろうけど、他の仕事で時間がなかったり、種を買うお金がないなど、理由があるのかもしれません。

 

数日後、農場に行くと朝ごはんにサツマイモを蒸して食べていました。当たり前のように私にも分けてくれたので、ありがたくいただいた。

 

 

1日1ドル未満の所得の人たちは貧困層と呼ばれ、ザンビア含むサブサハラアフリカは世界の中でもこの割合が多いそうです。

 

ザンビアに来て気づいたのは、貧困層と言っても一括りにできないということ。

 

一ドル未満で、職もなく、その日食べるものもない。

一ドル未満で、職もあり、その日食べるものもある。

貧困層の定義にはあてはまらず、職があり給料ももらっているが、食べるものに困っている。

等々色んなケースがあるんだろうなあ...

 

私が関わっている農家は、

 

自分たちの食べ物は自分たちで作る。

余ればそれを売って、現金を得る。

そのお金で生活用品(油、塩、石鹸等)を買う。

さらにお金があれば、自転車や小型ソーラーパネルを買い、テレビを買い、、。

 

というスタイルの人が多い。 

なんというか、自給自足しつつ社会とのつながりも保ちながら生活している感じ。

 

"日本で路上生活をしている人がいるか"という話題になった時、ある農家が言ってた。

 

「 ルサカにもそういう人がたくさんいるよ、都市で仕事がなく橋の下で寝起きしている人たち。でも今の時代、橋の下でだって生活できないよ、なんだって金がいるんだ。それに比べて、ここでの生活はいい。食べ物は自分たちの畑から手に入る。キャッサバ、メイズ、野菜、チキン、魚。食べ物に困ることはないし、余れば売ってお金だって作れる。」

 

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左はメイズ、右はキャッサバ。その周りには野菜とバナナ。

 

自給自足農業のままじゃ、いつまでたっても発展できない。だから大規模化して、売れる作物にフォーカスしよう。それも一つだけれど。

 

彼らにとって何よりも大切なのは、"まず自分たちの食料を確保すること"であって、売るのはその後なんだよね。彼らが稲をやりたい理由も、"メイズ以外の主食の確保"が一番大きい。

 

シェアができるのは、彼らにその余裕があるから。自給自足を維持するためにチテメネシステムや多品目栽培があって、もしもの時に飢えないためにシェアがある。自分たちで食べるものを作れて、もしもの時は隣人を頼れる。ある意味心強い環境なのかもしれない。

 

ある人が言ってた。

「フィリピンのある農家は自分には仕事がないって言うの。農家なんだけど。」

 

自分で食べ物を作る能力があって。

家族や地域、或いはどこか遠い国の誰かの胃を満たしているかもしれないのに。

 

なんでそう思ったんだろう?農業じゃ稼げないから?都市に出ていく人が増えたから?農業は古いから?

 

ザンビアの農業もきっと生産性が低いとかマーケットがないとか、インフラが整っていないとか、改善できることは色々あるんだろうけど。農家が自分自身を養えて、農家であることに誇りを持ち続けていられる限り、大丈夫なんじゃないかと思ってしまうのはきっと甘いんだよね。まだまだこの村の現状に向き合えてないからなんだろうなあ。

 

「農業は立派なビジネスだよ。売ることを考えて長期的にみて計画を立ててやれば、ちゃんとビジネスになるんだ。若いときにこのことに気づいていれば、できることはもっとあったはず。でも若い人は皆この声に耳を傾けないんだ、今しか見てない。」

 

大規模化した工業のような農業じゃなくて、個人でもこうやって農業で食べていこうとする人たちを守りたいし、そういう人たちののために働きたい。

 

この先どうやって農家とその地域と関わっていきたいんだろうと、もやっと考えるけれど、1人で考えてるだけじゃどうにもならないよね~

 

最後の期間、農家の声をもっと聴きたい、動きたい。

農家や農家に関わる人たちとつながる年にする。

 

 

終わり

 

チテメネシステムについて調べてみたこと その1

11月から本格的に雨季が始まりました。

乾季まで雑木林だったところが、いつの間にか開墾されて見晴らしが良くなってる。

 

 

5月~10月までが乾季、11月~4月までが雨季というように、ザンビアでは季節がはっきり分かれています。

乾季の間、特に5月~8月は全く雨がなくからっとしています。

そして寒い。

ウルトラライトダウン持ってきてよかった!

 

乾季の寒い間は、水不足と寒さのため農閑期に入るらしく、その間は、雨季に得た収入を切り崩しながら生活しつつ、レンガ作りやその他の仕事をして収入を得る人もいます。

 

 

最近ずっと気になっているワード、「チテメネシステム」。

いわゆる焼畑農法です。

なんとなく聞いたことがある焼畑

 

焼畑は森林破壊に繋がっているから良くないというのは何となく聞いたことがあるし、一方で適切な休耕期間を守れば持続的な農法だという人もいる。

 

ここで行われているチテメネシステムの実際はどうなんだろう?

農家はどう思っているんだろう?

 

 

農家から話を聞いたり調べてみると、色々奥が深そうというか、単純に面白そう。

なので何回かに分けてまとめてみようと思います。

 

 

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開墾される前の雑木林

 

 

チテメネシステムとは?

 

 

チテメネシステム=焼畑農法

 

主に、ベンバ族(ザンビア北部に住む、4大部族の一つ)によって行われているそう。

南部や東部ではやっていないのかな?

 

灌漑や機械を利用する近代的農法に対して、焼畑は原始的(粗放的)農法に分類されます。

 

そもそも焼畑のイメージが曖昧なので調べてみると、

・畑を作るために未墾の地に火をつけて開墾し、数年おきに移動する。

・最近は、移動スピードが速くなり、休耕期間が短くなっているので地力回復が追い付かず、自然破壊に繋がっている。

 

 

焼畑も色々方法があるようですが、農家によるとチテメネの手順は、

 

  1. ブッシュ(雑木林?)に入って木を切り、それを一カ所に集め、3週間~数か月乾燥させる。
  2. 乾燥させた後に火を入れ燃やす。
  3. 開墾した土地に、ミレット(きび)やキャッサバ、豆類、人によってはメイズを播く。
  4. 次の年は、同じ土地に違う作物を播く。同時に新しい土地を開墾する。

 

チテメネ準備を始めるのは早い人だと、乾季入ってすぐの5月頃から。

大体の人は7月頃から準備を始めるそうです。

9月、10月に火入れが始まるため、この時期はあちこちから煙がのぼっているのが見えます。

特に夜間燃やしていることが多いです。

その理由は、昼間は乾燥しすぎ+風があるため火が広がりやすく、危険だから。

 

 

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夜間に火入れをしている様子。火が燃える切るまで放置される。

 

 

調べてみると、木の切り方には、枝だけ切り落とす(幹は切らない)方法と、腰の高さくらいで幹から切り倒す方法があるそうです。

任地では後者の切り方をよく見かけます。

 

規模的にはだいたい1/2ha以下の場所が多いイメージ。

ザンビアでは土地の面積を表すのに「lima」を使います。

1lima=2,500㎡(1/4ha)

基本的に鍬一本で耕すので、一家族で一度に1limaを開墾するのもかなりの重労働に。

南部や東部では牛を使って耕すことが多いそうですが、北部では環境や民族的な違いから牛を飼う習慣がないようです。

 

燃え尽きた後に残った灰が肥料になるため、化学肥料なしでもよく育つそう。

 

おもしろいなと思ったのは、チテメネシステムとクロップローテーションを組み合わせているところ。

チテメネで開墾した土地に、毎年異なる作物を植えます。

 

例えば、

1年目:キャッサバ、ミレットを植える

2年目:キャッサバは収穫まで3年かかるので、ミレットのみ収穫

    ラッカセイと豆を植える

3年目:1年目に植えたキャッサバ、2年目に植えたラッカセイと豆を収穫

4年目:豆を植える

5年目:新しい土地へ移動

 

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チテメネシステム クロップローテーション例

 

チテメネに限らず、農家は作付時、計画的にクロップローテーションを取り入れています。

そうすることで、土地が痩せてしまわないように、作物や野菜が病気にかからないようにしています。

 

 

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火入れ後、開墾された土地。

 

毎年チテメネで開墾する人もいれば、そうじゃない人もいるそう。

また、人によってチテメネに対するイメージもバラバラ。

 

「チテメネは木を伐採するから環境に良くないんだ。だからやってないよ。」

「チテメネはいいシステムだよ。灰が肥料になるから肥料を買わなくていい。」

 

 ザンビア政府は、森林伐採による降雨量の減少が、農業生産に影響する可能性があるため、チテメネシステムを推奨していません。

 

 そうは言っても、代々チテメネシステムと共に農業を続けてきた人たちからすると、そう簡単にやめられるものではなさそう。

 

実際、焼畑が環境にどのくらい影響するのかは、焼畑の方法や規模、休耕期間等々により変わってくるのだろうし。

ベンバのように伝統的に焼畑を続けている人々は、環境を大きく破壊せずに済む方法を経験的に知っているんじゃないかと、農業や周りの環境に関する彼らの生活の知恵を教えてもらいながら思ったりもします。

 

農業に根差した生活をしているからこそ、チテメネも単なる農法ではなく、彼らの文化のひとつでもあるし、生活形態とも深く関わっているのだとしたら、きっとこれから先も続いていく気がする。

 

 

焼畑と聞くと、海外のプランテーション開発の事例などから、森林破壊を連想する人もいるかもしれない。しかしながら、本来の伝統的な焼畑は、火入れによる撹乱と休耕を合わせることで自然の再生プロセスを促進するものであって、破壊どころか、むしろ環境育成的というべき農業技術だ。

引用元:焼畑:伝統の灯火を守る - OurWorld 日本語

 

 

日本でも昭和30年代頃までは、各地で焼畑が行われていましたが、農業の近代化に伴い焼畑は減少していったそう。

 

そんな中でも焼畑を続け、世界農業遺産に認定された場所があります。

 

takachihogo-shiibayama-giahs.com

 

 

チテメネと鍬一本で耕す農法が、この先いつまで続くのか、いつか終わってしまうのか、それは分からないけれど、焼畑に限らず、伝統とつくものが続いてきたのにはちゃんと理由があるんだなと思う。

何でも簡単に手に入る場所じゃないから、身の回りの資源を活かす。

そのために代々先人が生活の中から得た知恵が詰まってる。

 

 

と、チテメネの話を聞きながら思ったのでした。

 

 

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一面真っ赤に燃えている光景。光も全くなく、別世界にいる気分だった。

 

 

 

 

 

 

ムズングになって気づいたこと。

こんにちは。

 

 

最近は気温上昇により、部屋の裏で栽培しているバジルがぐんぐんのびています。

 

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乾燥バシルより香りが断然良い。

 

パクチーやトウガラシ、セロリや長ネギも播いてみた。

残念ながらロッジ住まいなので畑は作れないけれど、サックを使って小さくやってます。

 

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土はいつもお世話になってる事務所のおじさんの自家製コンポストを分けてもらいました。

家の外に掘った穴に生ゴミ(といつつ色々混ざってる)を溜めておき、使い時になったら米ぬか入り鶏糞、土と混ぜて完成!

おじさんはこれをそのままサックに入れ、色んな野菜を育てています。

土が良いからか、肥料なしでも元気に育つそう。

芽が出てくるのがたのしみです。

 

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土と生ごみ、鶏糞を混ぜ合わせる。

 

 

 

お昼時、パン屋さんにいくとサラリーマン風の人が数人。

お店に入ろうすると、お会計中のお父さんの後ろから男の子がひょこっと顔を出し、私を見るなりわんわん泣き始めた、近づかないでと言わんばかりに。

周りにいた大人が大丈夫大丈夫と子どもを慰める。

 

 

任地にいると子どもに泣かれることがよくあります。

特に小さい子たち(多分小学生以下くらいかな)は、私を見ると泣く・逃げる・隠れる。

今日は2人の子どもを泣かせてしまった。

 

 

でもこれにはちゃんと理由があったみたい。

今日は肌の色に関わる出来事について記録しておこうと思います。

 

 

 

ムズング=肌の白い人(複数形はアバズング)

 

アメリカ人も、イタリア人も、中国人も、日本人も、彼らから見て白い人はみんなまとめてムズング。

中国人(彼らにとっては日本人もよく含まれる)に対しては、チャイニーズやチョンチョリなど特定して呼ぶこともあります。

 

だけど基本的には白ければみんなムズングです。

差別用語とし使っている感覚はなくて、日本人が白い人をまとめて”欧米人”という感覚と似ている気がします。

ムズングにしてもチャイナにしても、悪気はなく、むしろ親しみを込めて呼びかけてくれてるんじゃないかと最近気づいた。

 

 

 

「肌の色は違えど、同じ地球に住む仲間、同じ人間なんだ」

 

 

バスやタクシーで乗り合わせた人が、よくそんな風に言ってくれることがあります。

ある時、バスで乗り合わせた恰幅のいいおじさん(大手バス会社のお偉いさんらしい)がこんな話をしてくれました。

 

 

 

昔ヨーロッパの国からプロジェクトが持ち込まれた時、白人と一緒に地方の村(その時は全く開拓もされていない場所だった)へ行ったことがある。

最初我々がその村に着いたとき、村人は怖がって近づかなかったんだ。

彼らは”白い人”を見たのが初めてだったから、てっきり幽霊かと思ったんだよ。

恐る恐る近づいて、そっと肌に触れて、ちゃんと触れるか確認する人もいた。

その後、一緒にシマを食べ、お酒を飲んだら分かったんだ。

この白い人たちは自分たちと同じ人間なんだって。

 

 

 

私を見つけた小さい子が、泣きながらお母さんの後ろに隠れる姿を思い出した。

恐る恐るお母さんの後ろから出てくると、そーっと私の腕に触ってはまた隠れる。

肌の色が気になるからだけじゃなかったのか。

ちゃんと触れるか、透き通らないか、生きてるのか、確認したかったのかもしれない。

 

 

毎回お世話になってる事務所のおじさんが、タイに行ったときのことを話してくれた。

 

「道端でもバスでもどこにいても見られたよ。

黒い肌の人は珍しかったんだろうね。

そして子どもたちは特に、肌や髪の毛に触りたがった。

そういう時は、気が済むまで触らせてあげたんだ。

そうしたら、同じ人間だってわかるでしょ?」

 

 

おじさんたちの考え方が好きだなあと思った。

見た目も、文化も、育ってきた環境も、その他諸々違うことはたくさんあるけど、「とりあえず同じ人間らしい」って、そう思えたほうが楽な気がする。

自分と違うものに出会ったとき、怖い、不安、否定…そんな気持ちが出てくるのも事実だけど。

 

理解できないこともあるし、できることもある。

それは家族でも友だちでも同じことだよねって思ったら、上手く伝わらなかったとき、理解できなかったとき、国や民族、見た目の違いを理由にしたくはないなあと思う。

自分がムズングになるまで、あまり考えてなかったかもなあ。 

 

目の前の人を、その人自身として見られるように、生まれた場所や持ってるものに縛られず。

それは常々意識していたい、としみじみ思った10月始め。

 

 

読んでくださりありがとうございました。

ではでは、

 

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最初は泣いてたけれど、最近は名前を呼んでくれる。嬉しい。



 

ザンビアで学んだお米の話

 

 

こんにちは。

 

今日は真面目に稲のお話。

といっても、稲に関しても素人なので、今の活動の備忘録として。

 

 

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ザンビアに来る前は、こんなに稲に関わるなんて思ってもなかった。

技術補完研修でも二本松でも稲についてはちらっとやったけれど、、、。

Nericaか~そういうものもあるんだなあ。

くらいにしか考えてなかった。

完璧他人事!

 

それが今は活動のほとんどが稲になっています。

 

ザンビアの主食はメイズなのに?

「例え米があっても、米をおかずにシマを食べるぜ!」

って言うくらい、ザンビア人シマ大好きなのに?

他の作物だってできるかもしれないのに?

 

なんで稲なんだろう、、、。

 

・メイズや他の作物が育ちにくいダンボ(湿地)を有効活用できる(今のところ失敗)

・メイズよりも高く売れる(実際に調べて数字で示したい)

・種は毎年自分たちで生産できるので買わなくていい(種子が混ざって使えなくなっているところも多い)

...

 

稲にこだわらなくても良いのだろうけど、

一度始めた農家はずっと続けて自分で種子生産できるようになって、今後も続けていきたいと言っているし。

一度やってみたけどあきらめちゃって、でもまた挑戦したいっていう人もいる。

私自身、収穫して販売まで行き着いていないから、米がどれだけお金になるのか、どれだけ農家にプラスになるか何とも言えないけれど。

農家と栽培するのが楽しいので続けています。

 

 

日本では毎日ではないけど、少なくとも週に3回くらいはお米を食べていました。

米の消費量が減っているとはいえ、日本の主食はなんだと言われたら「米をよく食べる」と答えるし、体調崩した時に食べたくなるのはお粥なわけで。

なんだかんだお米は身近にある気がする。

それにもかかわらず、米がどんな風に栽培されていて、口に入るまでにどんな過程があるのかはザンビア来るまで知らなかった。

 

 

なので稲の栽培方法をまとめおきたい(日本とはまた違うけど)。

 

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ザンビアで栽培されている稲は、水稲品種と陸稲品種の2種類。

日本で栽培されているものはほとんどが水稲品種。

意外でしたがザンビアでも水稲品種はよく栽培されています。

 

日本人が米に求めるものって、つや、もちもち感、ねばり、甘味などなど色々あると思います。

こちらの人はいわゆる「香り米」を好みます(タイのジャスミンライスみたいな米)。

炊くときにふわっと香るあれが好きらしい。

そして炊き方も、砂糖を入れてみたり、油を入れたり、日本とは違うようです(油入りが意外とおいしい!)。

普段はシマ(メイズの粉をお湯で練ったもの)を食べているので、米を食べることは少ないです。

任地のレストランではシマのみで、米はありませんが、小さい商店などではタンザニア産などの米が売っています。

都市の大きなスーパーでは、ザンビア産のものもあれば、隣国からの輸入米の他、インド産やタイ産のものもあり、種類も様々です。

 

 

今私たちが栽培しているのは、陸稲品種。

 

Nerica(New rice for Africa ネリカやるまで意味知らなかった!)というアジア稲とアフリカ稲をかけ合せたもので

・乾燥に強い(水が少ないところでも栽培しやすい)

・高収量

・栽培日数が短い(ローカル品種と比較して)

などの特徴があります。

 

このNericaを稲作未経験の数件の農家と女性グループと栽培しています。

 

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写真撮るよ~というとやってる風にポーズを決めてくれる。(実際とても仕事熱心です)

 

栽培方法 圃場準備~種まき

 

 

1.圃場選定と圃場準備

 

陸稲とはいえやはり他の作物よりも水は必要らしく、ダンボと呼ばれる低湿地や水源が近くにある場所が推奨されています。

雨期に一度、ダンボを利用した栽培に取り組んだところ失敗。

古い苗を使ってしまったのと、有機物過剰が原因だったよう。

ダンボでやる場合は一度乾かす必要がありそうです。

 

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ダンボと呼ばれる低湿地。一年中水があるそう。他の作物栽培には使われにくい。

 

雨期は雨水にお任せですが、乾期は全く雨がないので水源が近くにある場所でないと栽培が厳しくなります。

今栽培している農家は、水源が近くにあり水をひけたり、養殖池を持っている人たちです。

 

最初にサイズをはかり、後は鍬一本でひたすら耕します。

ぼうぼうに生えている草を刈り、根っこを掘り返し、土を小さく砕いて、、、。

見るからに大変そうだけど、やってみると数分で息切れします。

 

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養殖池を測る時のやり方を教えてもらった。

 

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曲がらないよう、きっちり90度も確認。



2.種まき

 

圃場の準備が整えば、いよいよ種まきです。

 

種を播く前に、空籾を取り除く作業をします。

水に籾を全部入れてかき混ぜ、少し待つ。

そうすると空籾が上に浮いてくるのでそれは除け、下に沈んでいるものだけを使います。

 

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浮いているのは空籾。

 

ある農家さんでこの作業をやった時、

「前に一度稲をやった時は、これを知らずに全ての籾を使ったんだ。そうしたら発芽が全然よくなくて、収量も思ったほどではなかったから、結局やめちゃったんだよね」

小さいことでも一緒に一個一個やることの大切さを教えてくれた。

 

この作業をしてから種まきにはいります。

推奨されている播き方は、筋播き。

30cm間隔で線を引き、その線に沿って種を播いていきます。

 

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ラインマーカーという名前の通り、線を引くためのツールを使えばまだ楽にできますが、これがないとなるとロープとメジャーを使ってやることになり、大変時間がかかります。

まだ小さい面積だからなんとかなるけど、大きくやろうと思うとこれでは厳しい。

 

種を播いたら軽く土をかぶせ、後は水やりをしながら、芽が出るのを待ちます。

 

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種を播く女性たち。チテンゲがカラフル。

  

3.管理

 

土からちゃんと出てくるまでは本当に不安。

深く播きすぎたかな。

土かぶせすぎたかな。

水多すぎる?少なすぎる?

種流されてないよね?

ちゃんと稲をやってきた人ならすぐ分かることでも、素人には分からないから不安。

 

といいながら、種まき後ボツワナに行ってしまったので2週間任地を空けることに(ごめんなさい、ここは譲れなかった)、、、。

帰国後様子を見に行くと、どこも無事に生育出していて一安心。

 

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草がぼうぼうに生い茂り、稲と雑草の見分けがつかないところもあれば、そうじゃないところもあって。

今は、除草したり、肥料まいたり、様子見です。

 

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除草済とそうでないところ。

 

未経験の農家さんと取り組んでいて感じるのは、私以上に稲へのイメージがない。

もちろん稲を育てた経験もなければ、育ってるところを見たこともないので当たり前と言えば当たり前だけど。

これくらいで伝わるかなだと全く伝わっていなくて、逆に混乱させてしまったり。

だから一つひとつ細かく話す必要がある。

 

なんで棚田を作るの?

なんで1m間隔なの?

なんでばらまきじゃだめなの?

 

それから言葉だけに頼りすぎないこと。

絵に描いてみる、写真を見せる、実際にやってみせる、、、伝え方はいろいろある。

細かく話しすぎてもしょうがないけど、自分たちがやってることの先にビジョンが見えない時ほど不安になるしやる気もなくなる。

 

ただ、私が持っているのは教えてもらった知識で、経験ではないから。

後は農家さんの知識と経験に頼って、こうやったらもっと簡単にできそう、こっちの方が早いかもとか、相談しながらやっていけたらいい。

 

 

収穫まで無事にたどり着けるといいな。

 

 

 

 

読んでくださりありがとうございました。

ではでは。

 

 

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畑だけじゃない、池もマンパワー

 

DIY生活inルウィング

こんにちは。

 

バイクで走っていると風がもわっと暑い。

湿気がない分肌にまとわりつかないのがありがたいけれど、確実に雨期が近づいてるなあ。

 

 

 

 

任地にいると結構時間があります。

配属先の就業時間は8~17時。

定時でオフィサーは帰宅するし、私は大体農家さんのところを周っているのでその日やることが終われば17時前に帰ることも少なくありません。

土曜日は畑の様子を見に行きますが、それ以外土日は基本的にお休みしています。

そんなんでいいのか!と叱られそうですが、、農家さんと決めたその日の作業が達成できれば良いのではないかと。

そんなわけでこちらでは時間がたっぷりあるので、その時間は自分のために最大限使おうと思い、以前ザンビアやりたいことリストを作りました。

その都度付け足しながらたまに振り返って見ると、達成できたものが少しずつ増えていて嬉しい!

 

 

なので、今日は達成したものの中から二つ記録に残しておこうと思います。

 

 

 

やりたいことリスト37.燻製

 

日本で一度食べさせてもらった、あの味が忘れられず自分でもやってみたかった。

配属先で一番お世話になっているオフィサーにぽろっとその話をしたところ、

「うちにあるものでできそうだよ!」とのこと。

ほんとに燻製器できるんだろうかと半信半疑のままお家におじゃました。

準備してくれたのは、大き目のインバブラ(炭を使った料理用ストーブ)と金網、炭。

うまく燻製を伝えられなかった。

残念ながら燻製はできないけれど、、おいしくバーベーキューはできそう。

 

 

ニワトリ1羽購入し

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チキンにはスパイスをまぶして、醤油に浸けておいたたまごも一緒に焼いた

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のんびりしてる間にすっかり焦げてしまったけど、香りのいいローストチキンができました!

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燻製ではないけれど、これはこれでいい思い出。

 

 

 

続いて、やりたいことリスト106.お菓子つくり

 

日本にいたらいつでもどこでも食べれたものが、ここでは買えません。

自分で作るしかない。

 

特にやりたかったのは、スコーンを焼くこと。

パン屋さんに行くと必ず買ってしまうスコーン。

ここでも個人経営の小さなパン屋さんが数軒あって、食パンの他、菓子パンやミートパイなども買うことができます。

食パン一斤4~7クワチャ(100円しないくらい)、ミートパイ10クワチャ(150円)。

その他、マダムや子どもたちが道端で、"フリッター"と呼ばれている小さめのドーナツやスコーンぽいものを売っています。

一個大体1クワチャ(15円くらい)。

それもおいしいけれど、やっぱりあのザクザクしたのが食べたい!

と思い、先輩に教えていただいたレシピでスコーン作りを開始しました。

 

首都で買ったトースターで何度か挑戦するも、焼くのに時間がかかる&一度に焼ける量が少ない。

またまたさっきのオフィサーに相談したところ、「よし、ベイキングストーブを作ろう!」

 

 

さっそく材料を集めて、溶接工に持っていき、できたのがこちら。

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背面には火力調整用に穴もある。

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手作り感満載!!

下に炭火ストーブを入れ、その数十センチ上に鉄板を置いて焼きます。

ストーブの上にも炭を乗せれば、両面焼きも可能。

 

 

さっそく何か焼いてみようと、2種類のスコーンを焼いてみることに。

ひとつは私のレシピ、もう一つはオフィサーの奥さんのレシピで。

 

奥さんはお菓子作りも料理も本当に上手な方。

離れて暮らす彼らの息子さんに会いに行った時、彼もまたお菓子作りが好きだと話してくれた。

そのレシピはお母さんから教えてもらったものだとか。

奥さん曰く、

「小さいころに母から料理を教えてもらったの。レシピはずっと引き継がれてるんだよ。」

 

 

そのレシピを私にも教えてくれた。

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材料も作り方もとてもシンプル。

 

そして焼きあがったものがこちら。

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スコーンというよりもマフィンに近く、ふわふわでとてもおいしい。

 

そして、私が作ったスコーン。

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うーん、、これもまた手作り感満載。

トースターより火力が断然強いからか、ザクザク感はこれまでで一番よかったけれど、まだまだ改善できる。

ちなみに、ザンビア人はふわふわの柔らかいスコーンの方が好きらしい。

砂糖もたっぷり入れる。

 

 

奥さんはスコーンの他、ミートパイやクッキー、ビスケット、パンなどなど、なんでも焼けるそう。

また教えてもらおう。

 

 

年に一度行われる農業の祭典では、たくさん焼き菓子が紹介されていました(普段任地で見ることはないけれど)。

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キャッサバ(こちらでよく食べられている芋の一種)やダイズを使ったもの、バナナやカボチャを練りこんだものなど、色々。

 

米粉を使ったケーキも発見。

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定番のハート型


米粉の方が白米よりも使い道多そうだけど、米粉で売ったら売れるんだろうか。

個人的には欲しいけど。

 

 

燻製はもう一度チャレンジしたいし、天然酵母パンも作りたい。

バナナとかで酵母できそうな気もする、、。

 

 

ないものを買えるお金があるのは豊か。

だけどお金がなくても、必要なものを身の回りにあるもので工夫しながら、楽しみながら創り出せるのも豊かだなあと思う。

その術を少しずづ身につけたい。

 

 

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ザンビアの豆は色とりどりで種類が多い。緑に赤に、青や黄色、黒、マーブル。調理方法は大体同じ、味付けは塩。

 

 

 

トラクターおじさんの話

 

半年ぶりです。

薄々こうなりそうだな~と思いながらも、なかなか書けずに放置してしまった。

 

 

「気持ちにも賞味期限があるんだよ」って誰かが言ってた。

本当にそうで、後で書こうと思っていると次から次へと出てくるものに流されて、いつの間にか忘れてしまう。

後で話そう、後でやろう、後で書こう、後で行こう、後で後で…

そうやって忘れ去られた気持ちがどれだけあるか、、と思うとちょっとかわいそう。

 

 

ザンビアに来てちょうど1年。

ここまで大きな病気も怪我もなく(お腹は相変わらず弱い)、無事に過ごすことができています。

 

これを機にまた再開してみようかなと少しずつ、、。

せっかく貴重な機会をいただいているのに、帰国したらあっという間に忘れてしまいそうで、それはもったいないなと思いました。

自分のために続けたい。

 

 

書きたいこと、まとめておきたいことは色々あるのですが、今日は最近一番心に残った出来事を記録に残しておこうと思います。

 

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村での食事風景。足を延ばして食事を囲うようにして座る。

 

 

 

最近数軒の農家さんと稲の乾期栽培に取り組んでいます。

そのうちの一人、Mr.K、またの名をトラクターおじさん(勝手にそう呼んでる)。

この辺りで唯一トラクターを持っている方で、事務所でちらっと稲の話をしたことから一緒に活動させてもらうことになりました。

 

 

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種まき中。ロープを張って、線引いて、種播いて...。

 

Kさんが住んでいるのはファームブロックという、政府指定の農業開発地区。

ですが、実際は農地や道路が整備されるわけでもなく、プロジェクトがあるわけでもなく、販売目的に大規模で栽培している農家はごくわずか。多くは個人消費用で栽培しているそう。

 

数年前に政府から何らかの援助があり、Kさんはトラクターを購入しました。

この地域共有だから使用したい人はKさんと話して借りるように、ということだったらしいが、来た人は誰もいない。

そもそもKさん自身は元教員で、退職後に農地を買って農業をスタートした人。

農業に関する知識も経験も多くない。

プロジェクトの一環として買ったトラクターの使い方も、どう活かしていけばいいかも、基本的な栽培方法等も、誰も教えに来てくれなかった。

待っていても仕方ないから、自分で経験しながら学んできたそう。

 

またある時は、モリンガ(栄養豊富なミラクルツリー)栽培プロジェクトが入ってきたのでやってみることにした。

メイズみたいに播けばいいと言われて播いたら全く発芽せず。

深く播きすぎたことが原因だった。

「メイズみたいにって言われたからその通り播いた。深く播きすぎないようにとは教えてくれなかったんだ」

と悲しそうにつぶやくKさん。

 

「セオリーだけじゃ不十分、実践がなければ何にもならない。

だから、今こうやって一緒に耕して、種を播けることが本当に嬉しい。

これをずっと待ってたんだよ。」

 

配属先のオフィサーも彼らの事情(燃料を買うお金がない、他のプロジェクトが入ってる等々)があって巡回できないことがあるし、巡回指導というよりも、本当にやる気のある人は自分で事務所に相談に来るだろうというスタンスなのかもしれないし、一概にオフィサーが悪いわけではないけれど。

kさんの話を聞きながら心の底から嬉しかった。

アフリカの田舎で暮らす人々を深く知りたくて農業を選んだ。

一番農家の暮らしを近くで知れて、一緒に働ける環境が欲しくて協力隊を選んだ。

私がやりたかったことが、Kさんが望んでいたことでもあったのが単純に嬉しかった。

日本に帰ったら、一人ひとりの農家さんの顔を、畑を、経験したことを、話したことを、その時のままの映像で思い出すと思う。

そう伝えると、

「それこそが経験だよ。農家と働かずして、ルウィングにいたなんて言えない。それはルサカにいたのと同じこと。ザンビアの、ルウィングの、この場所の、この農家と、これとこれをやったんだってそれこそが経験だよ。いつか、ここでこの土地全部が稲になってるかもしれない。その時に、その喜びを一緒に分かち合う仲間の1人はあなただよ。」

 

最終的にやるかやらないかは農家さんが決めること。

だけど、一緒に鍬持って、種播いて、しつこいくらいに通って、やれるだけのことはやる。

 

その日の帰り道。

通り道の家の子どもたちが、必死に走ってきて呼び止める。

なんだろうと止まってみると、女の子がニコニコしながら「I love you」。

ニコニコ挨拶してくるなあと思えばコイン頂戴って言ってくる人もいる。

だけど本当に純粋な興味だけで声かけてくれる人もたくさんいる、大人子供に関わらず。

 

 

1年間いろんなことがあったし、残りの1年はもっといろんなことがあるかもしれない。

でも、急に村に入ってきたムズング(白人)を、あたたかく迎えてくれて一緒に頑張ってくれる人たちがいるから、小さくてもまだまだここからやれることはあると思う。

 

 

 

読んでくださりありがとうございました。

ではでは。

 

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ボツワナで出会ったミーアキャット。ボツワナ旅行は後々まとめたい。とても良いところです。



 

 

 

ザンビア生活半年経過、異文化適応について真面目に振り返ってみる

こんにちは。

 

 

ザンビアに来て早くも6か月目に入りました。

稲も順調に育っていて、来週には収穫できるとこもありそう。

 

 

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この半年は自分でもびっくりするくらい落ちたり上がったりしていました。

これまで海外に滞在したのは長くても1か月だったので特にストレスも感じなかったけど、、これがカルチャーショックというらしい。

 

 

ザンビアまで来たのに殻に閉じこもったまま何もできない自分に情けなくなって向き合うのも嫌だったけど、せかっかくなので記録に残しておこう。

 

 

 

異文化適応プロセス

 

 

この半年を振り返ると、上の3つはよくあてはまる。

 

第1段階:異文化との接触の段階

この段階は、異文化に接触したばかりの状態です。別の文化を自分の視点からみていて、文化的な違いに新しいものを発見した喜びを感じ、わくわくしている段階です。今までの行動パターンを崩すことはなく、自信をもって行動もできます。

第2段階:自己破壊の段階

自文化と、異文化の違いが気になり始め、混乱する段階です。自分とは違うという意識が増して、自尊心を失っなたり、どの様に行動していいかわからなくなって、引きこもりがちになります。

第3段階:自己再統合の段階

さらに混乱が酷くなり、異文化に拒絶を感じる段階です。相手の文化の人たちをステレオタイプ化したり、悪口をいったりします。神経過敏になって、怒り、激怒、不安、フラストレーションを感じます。

しかし、否定的な行動は、自己肯定と自尊心の成長の表れでもあります。文化の差異に気づき、自分の直感に基づいて行動できるようになるという点では前進です。

ショックのただ中にある人は、この段階で、自分の文化へ戻るか、以前の表面的な付き合いに戻るか… あるいは、文化の差をうけとめて、新しい現実に対処していこうとするかを選択することとなります

第4段階:自律の段階

第3段階を乗り越えられると、文化の違いや共通点をありのままに認めることができるようになり、ふたたびリラックスや共感を取り戻し、新しい状況や考え方に対して、柔軟に対応できるようになります。

第5段階:独立の段階

自分がどの様な文化に影響されているかを把握できるようになったため、状況に応じて、どちらの文化の行動パターンをとるかを選択したり、または、全く新たな行動もとることができるようになります。

 


 

 

1. 接触期:ザンビア到着後3か月くらい(現地訓練~赴任後2か月)

 

買い物するのも、容赦なく車が行き来する道路を渡るのも、一人で外出するのも、新しい食べ物も、全てが新鮮、感動。

「やっとザンビア来れたなあ」と毎日実感する。

異なることばかりなので慣れるのは大変だけど、楽しさの方が勝る。

 

 

2. 自己崩壊期 3.自己統合期 : 4か月目~今

 

ほんとに些細なこと、

 

・外に出ればとにかく見られる

・チャイナとか中国語のまねして話しかけてくる人たち

・料理中に停電する

・人の部屋の前で電話し始める

・話してる途中で電話にでる

・「フィールド行くよ」と言いながら2時間経過

・間違えて部屋をノックしてくる

・バスで隣になった女の子が寄りかかって寝始めて、かわいいからいいかと思っていたら、口についてたチョコレートで服が汚れた

 

等々にイライラしたり、悲しくなる。

 

 

 

ザンビアに来て4か月経つのに馴染めていない気がして焦ったり。

2年間いても結局ただの外国人で終わっちゃうんじゃないかと落胆したり。

純粋に興味本位で声かけてくれる人もいる一方で、笑顔で挨拶してきたかと思うと「コインある?」って言われることに悲しくなる。

この人にとって自分はお金でしかないんだなあと。

そして、純粋に握手を求めてきた女の子に対してまで、それを返せなかった自分に悲しくなる。

土日はとにかく外に出たくなくて、こもりがち。

世界中にいる同期や先輩たちはこんな状況でも頑張ってるのに、、。

 

 

 

そんな時期でした。

海外行っても知らない道を歩くことに、知らない人に出会うことに、なんの不安も抵抗も恐怖もなかったのに、なんでこんなに踏み出せないんだろうととにかく悶々としていました。

 

 

だけど最近ようやく、ようやく落ち着いてきた気がする。

 

知ってる人が増えてきた。

やりたいことがどんどん出てきた。

外に出る気力も湧いてきた。

知らないことに飛び込む勇気も湧いてきた。

 

 

まだまだこの間を行ったり来たりするのかもしれないけれど、後1年半だからもうとにかくやるしかない。

こうかなと思ったらやってみたらいいし、間違ってたら別の方法探してまたやってみる。

 

 

またしばらくしたら振り返ってみよう。

 

 

おわり

 

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