トラクターおじさんの話
半年ぶりです。
薄々こうなりそうだな~と思いながらも、なかなか書けずに放置してしまった。
「気持ちにも賞味期限があるんだよ」って誰かが言ってた。
本当にそうで、後で書こうと思っていると次から次へと出てくるものに流されて、いつの間にか忘れてしまう。
後で話そう、後でやろう、後で書こう、後で行こう、後で後で…
そうやって忘れ去られた気持ちがどれだけあるか、、と思うとちょっとかわいそう。
ザンビアに来てちょうど1年。
ここまで大きな病気も怪我もなく(お腹は相変わらず弱い)、無事に過ごすことができています。
これを機にまた再開してみようかなと少しずつ、、。
せっかく貴重な機会をいただいているのに、帰国したらあっという間に忘れてしまいそうで、それはもったいないなと思いました。
自分のために続けたい。
書きたいこと、まとめておきたいことは色々あるのですが、今日は最近一番心に残った出来事を記録に残しておこうと思います。
最近数軒の農家さんと稲の乾期栽培に取り組んでいます。
そのうちの一人、Mr.K、またの名をトラクターおじさん(勝手にそう呼んでる)。
この辺りで唯一トラクターを持っている方で、事務所でちらっと稲の話をしたことから一緒に活動させてもらうことになりました。
Kさんが住んでいるのはファームブロックという、政府指定の農業開発地区。
ですが、実際は農地や道路が整備されるわけでもなく、プロジェクトがあるわけでもなく、販売目的に大規模で栽培している農家はごくわずか。多くは個人消費用で栽培しているそう。
数年前に政府から何らかの援助があり、Kさんはトラクターを購入しました。
この地域共有だから使用したい人はKさんと話して借りるように、ということだったらしいが、来た人は誰もいない。
そもそもKさん自身は元教員で、退職後に農地を買って農業をスタートした人。
農業に関する知識も経験も多くない。
プロジェクトの一環として買ったトラクターの使い方も、どう活かしていけばいいかも、基本的な栽培方法等も、誰も教えに来てくれなかった。
待っていても仕方ないから、自分で経験しながら学んできたそう。
またある時は、モリンガ(栄養豊富なミラクルツリー)栽培プロジェクトが入ってきたのでやってみることにした。
メイズみたいに播けばいいと言われて播いたら全く発芽せず。
深く播きすぎたことが原因だった。
「メイズみたいにって言われたからその通り播いた。深く播きすぎないようにとは教えてくれなかったんだ」
と悲しそうにつぶやくKさん。
「セオリーだけじゃ不十分、実践がなければ何にもならない。
だから、今こうやって一緒に耕して、種を播けることが本当に嬉しい。
これをずっと待ってたんだよ。」
配属先のオフィサーも彼らの事情(燃料を買うお金がない、他のプロジェクトが入ってる等々)があって巡回できないことがあるし、巡回指導というよりも、本当にやる気のある人は自分で事務所に相談に来るだろうというスタンスなのかもしれないし、一概にオフィサーが悪いわけではないけれど。
kさんの話を聞きながら心の底から嬉しかった。
アフリカの田舎で暮らす人々を深く知りたくて農業を選んだ。
一番農家の暮らしを近くで知れて、一緒に働ける環境が欲しくて協力隊を選んだ。
私がやりたかったことが、Kさんが望んでいたことでもあったのが単純に嬉しかった。
日本に帰ったら、一人ひとりの農家さんの顔を、畑を、経験したことを、話したことを、その時のままの映像で思い出すと思う。
そう伝えると、
「それこそが経験だよ。農家と働かずして、ルウィングにいたなんて言えない。それはルサカにいたのと同じこと。ザンビアの、ルウィングの、この場所の、この農家と、これとこれをやったんだってそれこそが経験だよ。いつか、ここでこの土地全部が稲になってるかもしれない。その時に、その喜びを一緒に分かち合う仲間の1人はあなただよ。」
最終的にやるかやらないかは農家さんが決めること。
だけど、一緒に鍬持って、種播いて、しつこいくらいに通って、やれるだけのことはやる。
その日の帰り道。
通り道の家の子どもたちが、必死に走ってきて呼び止める。
なんだろうと止まってみると、女の子がニコニコしながら「I love you」。
ニコニコ挨拶してくるなあと思えばコイン頂戴って言ってくる人もいる。
だけど本当に純粋な興味だけで声かけてくれる人もたくさんいる、大人子供に関わらず。
1年間いろんなことがあったし、残りの1年はもっといろんなことがあるかもしれない。
でも、急に村に入ってきたムズング(白人)を、あたたかく迎えてくれて一緒に頑張ってくれる人たちがいるから、小さくてもまだまだここからやれることはあると思う。
読んでくださりありがとうございました。
ではでは。