poco a poco

2017.9.26~青年海外協力隊としてザンビアで過ごす2年間の記録。

ムズングになって気づいたこと。

こんにちは。

 

 

最近は気温上昇により、部屋の裏で栽培しているバジルがぐんぐんのびています。

 

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乾燥バシルより香りが断然良い。

 

パクチーやトウガラシ、セロリや長ネギも播いてみた。

残念ながらロッジ住まいなので畑は作れないけれど、サックを使って小さくやってます。

 

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土はいつもお世話になってる事務所のおじさんの自家製コンポストを分けてもらいました。

家の外に掘った穴に生ゴミ(といつつ色々混ざってる)を溜めておき、使い時になったら米ぬか入り鶏糞、土と混ぜて完成!

おじさんはこれをそのままサックに入れ、色んな野菜を育てています。

土が良いからか、肥料なしでも元気に育つそう。

芽が出てくるのがたのしみです。

 

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土と生ごみ、鶏糞を混ぜ合わせる。

 

 

 

お昼時、パン屋さんにいくとサラリーマン風の人が数人。

お店に入ろうすると、お会計中のお父さんの後ろから男の子がひょこっと顔を出し、私を見るなりわんわん泣き始めた、近づかないでと言わんばかりに。

周りにいた大人が大丈夫大丈夫と子どもを慰める。

 

 

任地にいると子どもに泣かれることがよくあります。

特に小さい子たち(多分小学生以下くらいかな)は、私を見ると泣く・逃げる・隠れる。

今日は2人の子どもを泣かせてしまった。

 

 

でもこれにはちゃんと理由があったみたい。

今日は肌の色に関わる出来事について記録しておこうと思います。

 

 

 

ムズング=肌の白い人(複数形はアバズング)

 

アメリカ人も、イタリア人も、中国人も、日本人も、彼らから見て白い人はみんなまとめてムズング。

中国人(彼らにとっては日本人もよく含まれる)に対しては、チャイニーズやチョンチョリなど特定して呼ぶこともあります。

 

だけど基本的には白ければみんなムズングです。

差別用語とし使っている感覚はなくて、日本人が白い人をまとめて”欧米人”という感覚と似ている気がします。

ムズングにしてもチャイナにしても、悪気はなく、むしろ親しみを込めて呼びかけてくれてるんじゃないかと最近気づいた。

 

 

 

「肌の色は違えど、同じ地球に住む仲間、同じ人間なんだ」

 

 

バスやタクシーで乗り合わせた人が、よくそんな風に言ってくれることがあります。

ある時、バスで乗り合わせた恰幅のいいおじさん(大手バス会社のお偉いさんらしい)がこんな話をしてくれました。

 

 

 

昔ヨーロッパの国からプロジェクトが持ち込まれた時、白人と一緒に地方の村(その時は全く開拓もされていない場所だった)へ行ったことがある。

最初我々がその村に着いたとき、村人は怖がって近づかなかったんだ。

彼らは”白い人”を見たのが初めてだったから、てっきり幽霊かと思ったんだよ。

恐る恐る近づいて、そっと肌に触れて、ちゃんと触れるか確認する人もいた。

その後、一緒にシマを食べ、お酒を飲んだら分かったんだ。

この白い人たちは自分たちと同じ人間なんだって。

 

 

 

私を見つけた小さい子が、泣きながらお母さんの後ろに隠れる姿を思い出した。

恐る恐るお母さんの後ろから出てくると、そーっと私の腕に触ってはまた隠れる。

肌の色が気になるからだけじゃなかったのか。

ちゃんと触れるか、透き通らないか、生きてるのか、確認したかったのかもしれない。

 

 

毎回お世話になってる事務所のおじさんが、タイに行ったときのことを話してくれた。

 

「道端でもバスでもどこにいても見られたよ。

黒い肌の人は珍しかったんだろうね。

そして子どもたちは特に、肌や髪の毛に触りたがった。

そういう時は、気が済むまで触らせてあげたんだ。

そうしたら、同じ人間だってわかるでしょ?」

 

 

おじさんたちの考え方が好きだなあと思った。

見た目も、文化も、育ってきた環境も、その他諸々違うことはたくさんあるけど、「とりあえず同じ人間らしい」って、そう思えたほうが楽な気がする。

自分と違うものに出会ったとき、怖い、不安、否定…そんな気持ちが出てくるのも事実だけど。

 

理解できないこともあるし、できることもある。

それは家族でも友だちでも同じことだよねって思ったら、上手く伝わらなかったとき、理解できなかったとき、国や民族、見た目の違いを理由にしたくはないなあと思う。

自分がムズングになるまで、あまり考えてなかったかもなあ。 

 

目の前の人を、その人自身として見られるように、生まれた場所や持ってるものに縛られず。

それは常々意識していたい、としみじみ思った10月始め。

 

 

読んでくださりありがとうございました。

ではでは、

 

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最初は泣いてたけれど、最近は名前を呼んでくれる。嬉しい。